1998年の秋、一人の少女がゆめやを訪れた。
アルバイト募集の張り紙をみたらしい。 が、実はその募集はゆめやではなく他の店舗のもので、彼女はベトナム料理店で2年ほど働いた。 いつも沖縄の海辺で空と海を見ているような感じで、忙しい飲食店の仕事をよく続けられたとある意味感心もしたが、その後、ひょんなきっかけでベトナムで働く事になった。 ベトナムには数軒の洋品店があり、そこでの販売や店の管理、という今までとは全く違う仕事に転身。まだ、若い女の子がベトナムで働く事は少なく、ご両親の猛反対を説得しての渡越だった。 他の社会経験が皆無で苦労ばかりでは有っただろうが、約3年間ベトナムのホーチミン、ハノイ両都市で働いてきたので、今でも他のベトナムからの帰国組みとはベトナム語での会話も混ざる、明るくキュートな彼女。 今はそのベトナムの店の商品を扱うJAPANESQUEというshopで働いている。 実は一度もゆめやで働いたことは無いのですが、修学旅行でゆめやの前を通った時に、 此処で働きたい、と思ったのが出会いだった・・・。 そう、ゆめやをきっかけに他の仕事をした人も何人も居るのです。 毎朝仕込をしているカレーの匂いにつられて来店するお客様も多いのですが、 ゆめやの「匂い」に惹かれて集まってくる若い人たちが大勢居ました。 土地柄、バンドマンも沢山居たし、アートを勉強している人や、服飾雑貨など 飲食店でありながら、働くスタッフは多芸多才。 今でも色々な場所で彼らの活動を目にする機会も多いです。 カレー屋なのに何かが違う、そんなゆめやの匂いはなんだか解らないけど、面白そう、という 不思議な匂いなんじゃないかな、と思います。
by yumeya-yumeya
| 2006-02-02 07:13
| ゆめやな人々
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下北庶民派のゆめやとは対照的ですが、「夢」があるのは同じです。 Puri Chori 雑貨屋の草分な店。 輸入雑貨に始まり今はオリジナル品中心です。2月末ベトナムに移転します。 JAPANESQUE ベトナムのSHOKO等の直営店。商品はほぼベトナムのアトリエで作ったオリジナル商品です。 Lurka Lurkey JAPANESQUE同様、ベトナムのアトリエで作ったオリジナルの帽子専門店。お気に入りの一点に出会える店です。 花泥棒 創業1979年。 原宿店、下北沢店、下北沢南店の3店舗があります。 ゆめやの初代店長も花泥棒の店長経験者。 ゆめやにも花泥棒の心が宿っています。 最新のトラックバック
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